子どもの頃に読んだ竹取物語。
あらすじは記憶しているものの、物語の意味や登場人物の心の動きまで思い馳せたことはなかった。
あれから数十年・・・
大人になって観た、映画『かぐや姫の物語』。
『喜びも悲しみも、憂いも季節の移ろいもある、この世界。
冬枯れのもの悲しい風情でも、春はまためぐりくる。
そんな世界の中で、時に笑い、時に心痛め、思い悩むこと。
それこそが生きるということ。』
『富も高貴な身分も、悲しみや苦しみのない月の世界も、
生きていると感じられなければ、幸せとは言えない。』
“生きる” ことについて考えさせる、そんなメッセージを含んだ物語だと思った。
月の世界は、人が生まれる前の世界。
汚れなく、ただひたすら穏やかさに包まれた世界。
かぐや姫は、意味を持って地上に生まれてきた。
季節を感じ、笑い、思い悩み、そうして“生きる”ために生まれてきた。
その記憶は、何か強烈なきっかけや意識がなければ思い出せない。
けれども、意識すれば必ず思い出せる。
それは、命が記憶している・・・。
心に深くしみてくる物語だった。
レイトショーでかぐや姫の物語を見た、深夜の帰り道。
東南の空、山の稜線のすぐ上に、下弦の月が浮かんでいた。
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- 2014/01/25(土) 18:37:20|
- 想い
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先日見たドラマの中で、主人公が最後に言った。
「人と人が長く続く秘訣は、互いのことを深く知りすぎないことですよ。」
この言葉がやけに印象深かった。
振り返ると若い頃は、相手のすべてを知りたいと思い、自分のすべてを知ってほしいと願って、ガツガツ関わっていったように思う。
30代半ばくらいになってようやく、すべてを知らなくてもある程度のバランスで付き合えるようになった。
そして40代の今、まさにあの主人公の言葉のような思いを抱いていることに気づく。
そうして、今いる数少ない、長いつきあいの人たちのことを思う。
人として生きるうえでもっとも大切にしたい、考え方、あり方・・・
そういうものに、共通項や刺激しあえる何かを見いだし、
それ以外のことにはあまり頓着なく。
そんなつきあいをしてきた人が、長い年月を経て今につながっていることに思い至る。
ドラマのひとコマから思いがけず振り返った、
人との関わり方の変化・・・
- 2014/01/17(金) 19:18:14|
- 生き方
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学生たちが、次々に新年最初の相談にやってくる。
そんな中、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と言う子と言わない子がいる。
言わない子がほとんどだし、この場ではそれでよいのだと思う。
ただ、その違いを眺めていると実におもしろい。
言わない子の大多数は自分のことにいっぱいいっぱいで、そんな季節のごあいさつには思いも至らないように見える。
そして少数の考え及ぶ子は、この場はそういう場ではないからと、あえて口をつぐむのだろう。
さらにわずか、相手はめでたいかどうかわからないのに軽々しく言えない、と考える子がいるかもしれない。
いずれにせよ何かしら考えて口をつぐむ子は、世の中を渡り歩いていく何らかの術を持っている子であることに気づく。
対して、至って素直に「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と言う子たち。
彼らの純粋な心をほほえましく思う反面、
彼らに共通して、感情のでこぼこさ、世の中をうまく渡れない不器用さがあることにも思い至る。
私たちが知らず知らずつくってきた現代社会の常識みたいなものや、
必要以上に空気を読んで他人と距離を置く関わり方・・・
人の個性は本来そんなものでは括れるはずもないのに、
見渡せばそんなもので括られた人が大多数を占めている。
素直に新年のあいさつをする彼らにとっては、それはそれは生きにくいことだろう・・・
何気ない新年のあいさつに、思いのほか深い感慨を覚えた、1月6日のできごと。
- 2014/01/07(火) 20:28:15|
- 想い
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