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生きにくさを抱える若者たち


発達課題や心の病を抱える若者が増えている。

そういう自分を知ったうえで、少しでも世の中の仕組みに馴染んで生きられるようにと、努力し続けている子も多い。

ところが親たちは、なかなかそんな彼らの生きにくさに気づかない。

今の大人たちが子どもだった頃には発達障害という認識はなく、心の病もそんなに知られていなかった。
「変わった子」「できの悪い子」で済まされていた。
そういう子どもたちが何の手当ても施すことなく大人になり、そんな大人たちに育てられたのが今の若者たちだ。

だから、親たちが子どもの生きにくさに気づけないのは、
もしくは薄々感づいてもなす術がないのは、ある意味仕方がないとも言える。
でもだからこそ、私たちが関わることで、親につなぐことができないかと考える。


今年もたくさんの、生きにくさを抱えた若手たちに出会った。
そしてそのうちの何人かは、親につなぐことができた。

もちろん私ひとりの力ではできない。

一番は、子どもたち自身の頑張りだ。
『この状況を何とかしたい』という、彼らの気持ちだ。

そして次には、心の専門家によるフォローが必要になる。

若者たちが生きにくさについて自ら問題意識を持つ最も大きな契機が、就職活動だと言える。
その時に出会うのが、私たちキャリアの専門家だ。

そこで私たちが如何に彼らの課題に気づき、彼らの気持ちに寄り添い、適切な専門家との連携を図れるか。
このことは、親につなぐことができるかどうかの重要な分岐点だと思う。

とかく専門家たちは、自身の職域を越える場合、適当と思われる機関を提示するにとどまる。
しかしそれだけで自ら動ける子であれば、状況はそれほど深刻ではなく、
『この人に相談してもダメなのか』、『またひとりになってしまった』と悲観してしまう子が多いことに思い至らなければいけない。
専門家同士が手を組み、『一緒にあなたの力になる』という姿勢で取り組むことが大切だと思うのだ。


生きにくさを自覚してから何年もの間、親に話すことができずにひとりで頑張り続けた子がいた。
でも彼には、私のほかに複数の支援機関の専門家がついていた。

私たちは連携して彼の最大の問題である親の理解を得るべく、作戦をたて、彼を励まし、寄り添い続けた。

そしてこの暮れに、両親と専門家との面談の機会を得ることができた。
後日、家庭内での状況に変化が生まれたことを、本人が涙ながらに報告してきたという。

彼がこの先、キャリアの新たな局面を迎えたとしても、
両親の理解のもと、広い選択肢の中から人生を選択していくことができるだろう・・・。





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  1. 2013/12/30(月) 14:12:18|
  2. 想い
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感じること、考えること


前にも触れた労働基準監督官のドラマ。
なかなかに感じるものの多いドラマだった。

けれど、ある同僚は「つまらない」と言い切った。
見方も感じ方も、私とはまったく違うからだろう・・・

「最初は労働法とか参考になるかと思って見てたけど」・・そうも言った。
そんなのは自分で勉強してしかるべきだ。

仕事をする以上、自分の属する世界の関連法は必ずある。
私たちは、まさに労働法に関係する仕事をしているのだ。
勉強のために教育番組を見るならわかるが、ドラマにそれを求めること自体がプロとしてどうなのか・・・。

視点を変えれば、考えさせられることや感じることがたくさんあるドラマだ。

もちろんドラマだからデフォルメされている。
主人公の人間性を描こうとするから、周囲の情報は都合により誇張も簡略化もされる。
そのことを承知したうえで見たならば、
「人を雇い、動かすこととは」「正義とは」「働くとは」「生きるとは」
という、大きなテーマに思いを馳せることができる。

それを「つまらない」の一言で片づけてしまう。
そんな風にしか見られないことの方がよっぽどつまらないのではないか。
ましてキャリア支援の仕事に就く者なら、「つまらない」見方しかできないことに疑問を持つべきではなかろうか。


・・・そういえば、ある雑誌の記事に書かれていた・・・
労働問題が何かと取り沙汰される中、
「労基署は決して労働者の味方ではない」とか、
「管轄外の問題は対応しない」とか。
あくまで “お役所仕事” だから、というのだ。

でも少し考えてみればわかるだろう。
雇用関係は、使用者と労働者の双方がいて成り立つものだ。
どちらか一方だけに100%の悪があるなんてことはない。

公が判断し結論づけることは、とても重く、意味の大きなことだ。
であるがゆえ、結論づけるためには客観的な基準や証拠を要すのだ。
別にお役所仕事的に体裁だけ整えてるわけでもなければ、労働者のことを考えていないわけでもないはずだ。

さらに言うなら、法の執行や監督の権限を持つ者に、広い範囲にわたる権利を持たせてはいけないのだと思う。
それらを担う者は、公僕とはいえ人であることに変わりはない。
広く大きな権利を持たせてすぎては、公平性や客観性を欠くリスクが大きくなる。
だからこそ彼らは、ひとつところに長く居座ることなく、次々と部署を異動させられる。

公務員を擁護するつもりはない。
ただ、人の心や様々な情報に敏感であるはずの同業者や、ものを書き世に出すことを仕事にする人までもが、
こんなにも感性や考えに乏しいのかと思うと少し悲しくなった。



  1. 2013/12/16(月) 12:24:58|
  2. 想い
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さくら


桜といえば、なんといっても春の花が目立つ。

次にイメージするのは、冬の枯れ木。

でも実は、そのふたつの季節の間にも、
桜は風情ある姿を見せてくれている。

初夏
花がすべて散ったあとの、 葉の青。

晩秋
枯れ落ちる直前の、 葉の赤。

それぞれに、何とも言えない美しい色を放つ。

初夏の青は、
来たる眩しい陽射しを予感しながら空を仰ぎ、
つい先ごろまでの桜色を懐かしみつつも、
力ある色だと思い、毎年眺めている。

けれど晩秋の赤を、
こんなにしみじみと、いい色だと思いながら見上げたのは、
今年が初めてかもしれない。

いい時期を過ごしたと、
誇りある美しい時期を過ごしたと、
自信とおだやかさに満ちて、
間もなく散りゆこうとするときの、赤。

これから春を迎え花を咲かせる学生たちと向き合いながら、
そろそろ秋を迎えようとしている自身を想うとき、
桜の葉が見せるこの赤のような色を放つ、
そんな存在になりたいと思うのです。



  1. 2013/12/07(土) 19:30:28|
  2. 生き方
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